平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の歌舞伎彫刻・鏡獅子って?【日曜美術館】

 

あーとん

あーとんだの。今日は「日曜美術館」の平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)について紹介するの。

10月27日の「日曜美術館」(Eテレ)では
わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~が放送されます。

まずは、どんな内容なのか公式サイトで
確認してみましょう。

 

西洋化の波が押し寄せる中、を模索した平櫛田中。6代目尾上菊五郎と作り上げた代表作「鏡獅子」の制作秘話を通してその生き様(ざま)に迫る。
歌舞伎の6代目尾上菊五郎の姿をとどめた近代彫刻の最高峰「鏡獅子」。実に22年の歳月をかけて作られた全長2mの彩色が施された木彫の像は、圧倒的な存在感を誇る。作者は岡山県井原市出身の平櫛田中(ひらくし・でんちゅう/明治5年-昭和54年)。ロダンなど西洋彫刻が流入し新たな衝撃が広がる時代のなかで、日本伝統の木彫の新たな可能性を模索した平櫛田中。107年の天寿を全うした、その生きざまに迫る。

引用:https://www4.nhk.or.jp/nichibi/

 

この予告から気になるキーワードを抜き出すと...

  • 近代彫刻の最高峰「鏡獅子」
  • 日本伝統の木彫の新たな可能性
  • 107歳の天寿
田中(でんちゅう)かあ、どうしても、たなかって読んじゃうなあ。

びーさん

あーとん

全国苗字ランキングで田中さんは4位だしの。
田中さんは、彫刻家なんだ。どんな作品なんだろう。

びーさん

あーとん

さっそく見てみようかの。

 

 

「平櫛田中」ってどんな人?

 

作家名  平櫛田中
本名   平櫛倬太郎(たくたろう)
(旧姓は田中)

生年月日 1872年2月23日 
死没   1979年12月30日(107歳)
表現実績 彫刻

平櫛田中は、
岡山県後月郡西江原村
(現・井原市西江原町)の
田中家に生まれました。

やっぱり田中さんなんじゃん!

びーさん

あーとん

びーさんも田中さんも「田中」に固執してるの…

1882年(明治15年)に
広島県沼隈郡今津村(現・福山市今津町)の
平櫛家の養子になります。


1893年(明治26年)に、
大阪の人形師・中谷省古に弟子入りしたのち
上京して高村光雲(1852 -1934)の門下生
となりました。

高村光雲作 老猿
1893年
東京国立博物館蔵
出典:https://search.yahoo.co.jp

 

その後、明治末期から大正初期にかけて
東京藝術大学の基礎となる
東京美術学校を創立した

岡倉天心に師事します。

 

転生 1920年
東京藝術大学蔵
出典:https://search.yahoo.co.jp/

 

これは日本美術院の研究所で、
3年間にわたる塑造(そぞう)の研究の
成果があらわれた作品で

田中の代表作の一つです。

 

転生(てんしょう)
1920年(大正9年)
田中美術館蔵
出典:https://search.yahoo.co.jp/

口から何か出てるよ!舌じゃないよね!

びーさん

 

一見、不動明王のように見えるこの像は
実は仏教的な意味はないそうです。

「生ぬるいものは鬼も喰わない、
喰うには喰ったが、気持ちが悪く
さすがの
鬼も吐き出してしまう」

という
田中が小さい頃、よく聞かされた話を
基に作られているそうです。

うえっ!人間まずい!っていう像なの?

びーさん

あーとん

生ぬるい=中途半端に生きている人間は魅力的ではないっていうことかの。

 

幼児狗張子(ようじいぬはりこ)
1911年(明治44年)
田中美術館蔵
出典:https://search.yahoo.co.jp/

 

田中には3人の子供がいました。
長女・幾久代、長男・俊郎、次女・京子。

これは俊郎をモデルにした像です。

 

何かちょうだいって言ってるよ。赤ちゃんのぷくぷくした頬っぺたの感じがよく出てるよね!

びーさん

あーとん

ふとした瞬間を写実的に捉えているのがすごいと思うんだの。

 

姉娘
1928年頃(昭和3年頃)
田中美術館蔵
出典:https://search.yahoo.co.jp/

 

これは長女の幾久代(きくよ)をモデルにした像です。

何を聞こうとしているんだろ。

びーさん

あーとん

田中さんの家にはなかった、隣の家のラジオの音を聴いているところらしいんだの。
そんなことでも、こんな素敵な作品になるんだねえ。

びーさん

 

しかし

1925年、3人が相次いで肺結核になり
幾久代は19歳の若さでこの世を去りました。

また、俊郎は
幾久代の後を追うようにして亡くなります。

 

そして、死ぬ間際に

「お父さん、
仕事は
上手にならなくてもいいから、
わたしの
分まで長生きして、
たくさんの作品を
作ってください」

と言い残したそうです。

 

田中さん、ほんとにつらかっただろうね。

びーさん

あーとん

田中さんは、その言葉通り107歳まで現役で作品をつくり続けたんだの。
107歳!?すごい!田中さんはきっと鬼に吐き出されるような人間ではないよね。

びーさん

田中は昭和初期以降、
彫刻ではタブー視されていた
彩色の手法を試みます。

あーとん

伝統にとらわれず、新しい表現方法に挑戦したんだの。

そして1958年(昭和33年)に22年の歳月を
かけて完成したのが大作《鏡獅子》です。

 

鏡獅子ってどんな作品?

 

歌舞伎の名優六代目尾上菊五郎をモデルにした
2メートルもの『鏡獅子』

 

試作鏡獅子(しさくかがみじし)
1939年(昭和14年)
田中美術館蔵 出典:https://search.yahoo.co.jp/

 

あーとん

これは本作品の1/4サイズの試作品なんだの。
がっつり色が付けてあるね!

びーさん

 

 

六代目尾上菊五郎は、
常に裸で踊りの練習をし
筋肉、骨格の動きなどについて
いろいろと研究していたそうです。

 

鏡獅子試作裸形(かがみじししさくらぎょう)
制作年不詳
田中美術館蔵

 

鏡獅子の裸バージョンもあるんだね!

びーさん

あーとん

基本を頭に入れてから、本制作に取りかかったんだの。

 

昭和37年には、彫刻界でのこうした
功績が認められ、文化勲章を受章しました。

田中は
「いまやらねばいつできる、
わしがやらねば
だれがやる」
が口癖で、生涯現役、
107歳まで制作を続けたのです。

「今でしょ!」って言いたくなるね。

びーさん

あーとん

田中さんは100歳になっても、30年かけても使いきれないくらいの材木を持っていたらしいの。
すごいパワフル!本当に子どもたちの分まで人生を全うしたんだねえ。

びーさん

 

 

「鏡獅子」はどこで見られる?

 

現在も日本の伝統芸能の殿堂、
国立劇場のロビー
鏡獅子」は展示されています。

 

当初は国が「鏡獅子」を
2億円で買い上げようとしましたが、

 

「お金はいりません。
この作品は私一人で作ったものではなく
六代目菊五郎さんと2人でこさえたもんです。

お金をとったら、
あの世で六代目さんに会った
とき、
あいさつのしようがないですよ。」

 

田中はこう答えて、
東京国立近代美術館に寄贈し、
近代美術館はこの作品を国立劇場に
貸すことにしました。

に、2億円!?僕ならよろこんで受け取るよ…

びーさん

あーとん

そうだの…田中さんと菊五郎さんには深い絆があったんだの。

 

国立劇場ホームページ
https://www.ntj.jac.go.jp/50th/column/

 

また、田中の故郷、岡山県井原市にある
井原市立田中美術館
開館50周年記念特別展
「没後40年 平櫛田中 美の軌跡」
令和元年1月10日まで開催されています。

 

木彫作品を中心に、ブロンズや石膏原型など
国内にある代表的な作品約80点を一堂に
見ることができるそうです。

井原市立田中美術館ホームページ
www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です