木喰(もくじき)と柳宗悦(やなぎむねよし・そうえつ)の関係は?日本民藝館

あーとん

あーとんだの。
今日は 木喰(もくじき)さんの作った
仏像について話すの

2019年6月2日の
「日曜美術館」(NHK)では、
柳宗悦(やなぎむねよし)が見出した
木喰(もくじき)仏を紹介します。

まずは、その内容を
公式サイトから見てみてみると・・。

“微笑仏”と呼ばれる独特の笑みを湛(たた)え、素朴で温かみのある仏像を彫った江戸時代後期の僧侶、木喰(1718~1810)。全国各地を遊行し1千体以上の仏像を彫った。長年埋もれていた木喰仏を見いだし、その魅力を世に広めた人物が民芸運動の創始者、柳宗悦である。

めあて
長年うもれていた木喰仏を、もっと知ろう
木喰さんがつくった仏さんが、木喰仏?

びーさん

あーとん

そうだの。木喰さんは、全国を行脚して修行をしながら
木片にも仏さんなどを掘ったんだの
旅する彫刻家なの?

びーさん

あーとん

ちょっと違うの。江戸時代のお坊さんだの

それでは、木喰さんの掘った仏さま(木喰仏と
それを世の中に紹介した柳宗悦という人のことを
調べましょう

 

[adlink]

 

木喰はどんな人?

名前 木喰(もくじき)
生年月日 1718年
没年月日 1810年7月2日
活動拠点:日本全国
活動時期:江戸後期
表現実績:木彫り

木喰(もくじき)は

特定の宗派や寺に属せず、
全国を巡って修行する
遊行僧(ゆぎょうそう)でした。

22歳のときに仏門に入り、
40代なかばで「木喰」と名乗ります。

もともと、五穀を断ち木の実を食べ、
しかも火を使わず生のまま食べる修行ができた人を
「木食上人」と呼びます。

あーとん

木喰さんは、木上人でありながら、あえて「喰」の字を使っていたんだの
木喰さん・・顔が絵じゃなくって、木彫りだね?
自分で掘ったの?

びーさん

あーとん

そうだの。自刻像(じこくぞう)というんだの。
似ているかどうかわからないけど、
こののんびりした笑顔はいやされるの〜

木喰さんの彫ったものは、おおらかで
にっこり笑ったものが多いのが特徴です。

木喰の故郷と木喰仏の魅力

あーとん

木喰さんは 山梨生まれなんだの。14歳で江戸に出てきて
修行をはじめたそうだの
そのまま、江戸にいようと思わなかったの?

びーさん

あーとん

廻国(かいこく)修行といって、日本全国を回って
修行しようとしたんだの
修行って、具体的に何をするの?

びーさん

あーとん

その土地のお寺を修理したり、新しく建てたり・・。
仏様を彫ってつくることも大事な修行なんだの。
まとめると、
人々に仏様のありがたさ、大切さを伝えるために
働くことだの。
そうか!ネットもSNSもテレビもないもんね。
自分が行って伝えるしかないもんね

びーさん

あーとん

そのおかげで、現在は日本あちこちに木喰仏が
残っているんだの

 

『薬師如来』部分(新潟県柏崎市)

『弘法大師』(山梨県立博物館)

わ〜。なんか笑ちゃう顔しているね
そんなこと言ったら怒られるかな?仏様なのに

びーさん

あーとん

いいこというの、びーさん。
まさに木喰さんの狙いはそこだったんだの。
村人や里の人たちに親しみを持ってもらって
毎日お参りや、ご挨拶だけでもしてもらえるよう
彫ったようなんだの

50代半ばで
廻国修行をはじめた木喰さんは、

何回かに分けて、
北海道から鹿児島まで全国を回ります。

最後の旅だちは85歳のとき。

新潟から兵庫県丹波へ周り
93歳で死去されたといわれますが、
その場所ははっきりわかっていません。

 

そのため、日本全国に木喰仏はたくさんありますが、
故郷の山梨には県指定文化財になった
仏様や「木喰の里 微笑館」があります。

『五智如来』像

仏が備える五つの知恵を
各々成就した五つの如来さま。

中央には蓮の花の台座に座り、
頭に王冠を戴く大日如来がいます。

 

木喰の里 微笑館
住所:山梨県南巨摩郡身延町北川2855
電話番号:0556-36-0753
開館日時:3月~11月 午前9時〜午後5時
12月~2月 午前10時~午後4時
休館日:水曜日、祝日の翌日、年末年始

 

[adlink]

 

木喰を見出した柳宗悦ってどんな人?

日本全国に散らばって点在していた木喰像は
時代とともに地元の方にも忘れられ、
埋もれ、散逸したりしていました。

それを見いだしたのが
民藝運動で有名な柳宗悦でした。

名前 柳宗悦(やなぎむねよし)
生年月日:1889年3月21日
没年月日 1961年5月3日
活動時期:大正〜昭和時代
表現実績:思想家、美術評論家、

あーとん

柳さんは、山梨県池田村の村長さんのおうちで、
これを偶然見つけたそうだの
村長さんのうち?

びーさん

あーとん

正確に言うと、村長さんのお家というより、
蔵の前にほっとかれたのを、柳さんがみつけたんだの
えっ? ほっとかれた??

びーさん

あーとん

身近にあるものすぎて、当時の地元の人は
それが美しいもの、貴重なもの、という考えが
なかったんだの

最初はヨーロッパの彫刻や
朝鮮陶の美を研究していた柳宗悦でしたが、

関東大震災後のころから、
人々のくらしの中に本当の美がある、と考え、
各地の古い町や村を訪れていました。

そこで、木喰さんに出会ったのです。

“そんなにこの像を気に入ったのなら、
後日お送りします” と、村長は後日
藁に巻いた仏像を、柳の自宅に届けたのでした。

『地蔵菩薩像』(日本民藝館)

あーとん

柳さんは、木喰さんの研究を一冊の本に
まとめるぐらい、大好きだったんだの

そして、日本各地で、次々に発掘するのです。

薬師三尊像(栃木県栃沼市)

出展:https://www.city.kanuma.tochigi.jp/        『十二神将像』(栃木県栃沼市)

出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/                      『日向国分寺 五智如来坐像』(宮崎県西都市)

どれも柳が見つけた時は、村人は誰がつくったものか
わからなかったり、ほこりをかぶって放置されたりしています。

いまも日本のどこかに、気づかれていない
美しいもの、があるといいね〜

びーさん

 

[adlink]

 

民藝運動って何?

あーとん

さっきもいったように、
民衆のくらしの中にある美をみつけよう! と
「民藝」という言葉を考えたんだの

柳は、陶芸家たちと一緒に、
「用と美が結ばれるものが工芸である」と提唱し、

陶芸や木工、染色織物など、
日本を中心にアジアの「美しい生活用品」
集めて研究していました。

その中には、
生活に密着した祈りのものとして、
仏像や地蔵などの像も集められたのです。

それが展示されているのが日本民藝館です。

す、すごい!お屋敷みたい!

びーさん

あーとん

そうだの、普通の博物館とは違うの。
1936年に建てられた建物が、戦争でも焼け残って、
そのまま使っているんだの。

建物だけでも楽しめる場所なんだの!

日本民藝館は、玄関でスリッパに履き替えて、
展示室に行くスタイルの美術館です。

木の床や柱、障子など
和風のつくりになっていて、

展示だけでなく
その空間も楽しめる民藝館。

普段の博物館美術館めぐりと
違った楽しみ方もできます。

日本民藝館
住所:東京都目黒区駒場4-3-33
電話番号:03-3467-4527
開館時間:10時~17時(最終入館は16時30分まで)
休館日:毎週月曜日(但し祝日の場合は開館し翌日休館)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です