ニコライ堂(東京復活大聖堂・神田)とジョサイア・コンドル|新美の巨人たち(貫地谷しほり)

あーとん

あーとんだの。今日は「新・美の巨人たち」の『ニコライ堂とジョサイア・コンドル』の回について紹介するの!

2019年4月13日(土)に放送される
「新美の巨人たち」(テレビ東京)では、
日本の神田にある教会
「ニコライ堂
(東京復活大聖堂)」へ

女優の貫地谷しほりさんが訪れます。

 

まずはどんな内容なのか
公式サイトで確認してみましょう!

 

東京・神田の台地に佇む『東京復活大聖堂』は、教会を建てたロシア人宣教師、聖ニコライの名から通称『ニコライ堂』と呼ばれています。日本最大のビザンティン式建造物であるこの美しい聖堂を設計したのは、“日本近代建築の父”イギリス人建築家ジョサイア・コンドル。日本との懸け橋になろうとした2人の異邦人によって、この聖堂は生み出されました。美しき建築に隠された物語に女優・貫地谷しほりさんが迫ります。

<Art Traveler>貫地谷しほり

 

この予告から気になるキーワードを
抽出すると・・・

 

  • 教会を建てたロシア人宣教師、聖ニコライ
  • 日本最大のビザンティン式建造物
  • 聖堂を設計したのは、“日本近代建築の父”イギリス人建築家ジョサイア・コンドル

 

あーとん

さーて、今回は東京・神田にあるニコライ堂(東京復活大聖堂)についての紹介だの。
日本現代建築の父が設計したって、なんだかかっこいいよね!それにしてもこの教会、本当に東京にあるの??

びーさん

あーとん

ではまず、ニコライ堂の基本情報を教えるかの。

 

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ニコライ堂はどこにあるの?

 

今回ご紹介するニコライ堂
正式名称・東京復活大聖堂は、
東京都千代田区神田駿河台にある

日本国内では最大級といえる
ビザンティン式建築の大聖堂です。

東京のしかも神田にこんな立派な教会があったなんて知らなかった!

びーさん

あーとん

日曜日のお昼時には御茶ノ水駅辺りでニコライ堂の鐘の音も聞けるんだの

 

ニコライ堂が建てられたのは1891年ですが
現在の姿は、
関東大震災で被災した後に修復された姿です。

<建築当時の図>

<関東大震災時>

<戦後~現在>

 

戦争の時は大丈夫だったの?

びーさん

あーとん

第二次世界大戦の時は空襲にはあわずにすんだんだの。むしろ亡くなった人達の安置所としても使われた、地域に寄り添う立派な大聖堂なんだの
この教会はいろんな歴史を見ているんだね

びーさん

 

東京にこの大聖堂が建てられた目的は
キリスト教・正教(せいきょう)の教えを広めるため
正教会の宣教師(せんきょうし)である
ニコライ・カサートキンの依頼でした。

 

そっか、ニコライ堂のニコライは人の名前だったよね

びーさん

あーとん

日本に正教を伝えた人であり、日本と故郷ロシアが戦争中の時も日本で活動を続け、最後は東京でその生涯を閉じたんだの
ねえ、あーとん。正教ってキリスト教の一つってことでいいんだよね?

びーさん

あーとん

そうだの。キリスト教の中でも規模の大きな三つの教派(きょうは)カトリックプロテスタント正教とあるんだの
仏教にも種類があるのはこの前聞いたけど(弘法大師修法図 参照)ニコライさんは最後まで日本でキリスト教の教えを伝えていたってことだよね。すっごく日本が好きだったのかな?

びーさん

あーとん

ではでは、聖ニコライがどんな人だったのか紹介するんだの

 

宣教師ニコライってどんな人?

本名:イーヴァン・ドミトリエヴィチ・カサートキン
修道名:ニコライ
生年月日:1836年8月1日
死没:1912年2月6日(日本)
国籍:ロシア
教派:正教

ニコライさんのニコライはペンネームみたいなもの

びーさん

あーとん

うーん、宗教においての名前は、神様に対する誓いや約束なんだの。ペンネームとは感覚が違うの
へぇぇ、結構しっかりした理由があるんだね!

びーさん

 

聖ニコライが日本に興味をもったのは大学時代。
ヴァーシリー・ゴローニンの書いた
『日本幽囚記(にほんゆうしゅうき)』がきっかけでした。

幽囚記(ゆうしゅうき)ってなに?

びーさん

あーとん

日本で捕まっていた約二年間の記録を本にしたんだの
ええ!?そんな内容!?

びーさん

あーとん

簡単に言ってしまうと、捕まっていた間の生活で日本人が親切だったと書いていて、ヨーロッパ諸国が持っていた鎖国当時の日本のイメージを一新してくれた本でもあるんだの
きっとニコライさんが日本に来ようと思うぐらい、いいことが書いてあったんだね!

びーさん

あーとん

今でもネットで検索するとが出てくるから、興味のある人は図書館等で調べてみるんだの

 

この日本幽囚記をきっかけに
日本に興味を持った聖ニコライは
1861年函館の司祭として来日
正教会の教えを日本中に伝える活動を行います。

あーとん

来日した時はまだ日本は幕末キリスト教は禁止されていたんだの。なので聖ニコライが正式に活動を始めたのは明治になってからだの

 

正式に活動が出来るようになるまでの間
聖ニコライは積極的に
日本について勉強しています。

日本史はもとより仏教や神道
人々の日常生活に至るまでを
七年間もの間、継続して学んでいます。

ものすごく勉強熱心な人だったんだね

びーさん

あーとん

だからこその後の活動で多くの日本人と関わることができたんだの

 

正教での布教活動の最中、
聖ニコライは日本の正教の中心地としての
大聖堂の建設を希望します。

大聖堂のデザインの元を
ロシア人建築家
ミハイル・シチュールポフに依頼し、
日本で鹿鳴館(ろくめいかん)を建てるなど実績のあった
イギリス人建築家
ジョサイア・コンドルが実際の設計を行いました。

鹿鳴館(ろくめいかん)って?

びーさん

あーとん

明治時代、海外から来た人達をもてなす為に建てられた建物だの

<鹿鳴館(ろくめいかん)>

大聖堂の建築に重要な人がまた出てきたって感じだね

びーさん

あーとん

その通りだの。次に紹介するのはジョサイア・コンドルだの

 

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建築家ジョサイア・コンドルってどんな人?

 

名前:ジョサイア・コンドル
生年月日:1852年9月28日
死没:1962年6月21日(東京)
国籍:イギリス
表現形式:建築家
ムーブメント:歴史主義建築

あーとん

ジョサイア・コンドルが手掛けた建築といえばこんなところもあるんだの

<三菱一号館>

補足すると、
現在の三菱一号間美術館は
一度解体された
三菱一号館のレプリカ
です。

<旧岩崎邸庭園 重要文化財>

ジョサイア・コンドルは
イギリス・ロンドン出身の建築家で
現在の東京大学工学部の
建築学教授として来日しました。

あーとん

コンドルが日本に来日した当時の年齢はなんと24才。このときすでにイギリスではかなり活躍していた新進気鋭の若手だったそうだの
若い頃から活躍していた建築家だったんだね!

びーさん

コンドルは大学で
西洋建築の基礎を教えながら、
日本政府の依頼
政府の関連施設の設計を手掛けていました。

あーとん

海外から日本に招かれた教師の中でも、コンドルは任期が終わっても日本に残り、個人事務所を構えて仕事を続けたそうだの
日本の事を好きなってくれたんだね!

びーさん

あーとん

日本で結婚して奥さんも日本人。そしてなんと、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)に弟子入りして本格的に日本画を勉強していたりもするんだの

河鍋暁斎(かわなべきょうさい)

<左:河鍋暁斎「鯉魚遊泳図」 右:コンドル「鯉之図」>

ニコライ堂建設に関わった二人は、とても日本のことが気に入っていたんだね!わざわざ日本に来て仕事して、日本で亡くなってるってなんだか凄いな

びーさん

あーとん

今も昔も生まれた国以外でその一生を過ごすのはなかなかに難しいことだの
そんな二人が協力して造ったのがニコライ堂なんだね!

びーさん

あーとん

そう。聖ニコライの依頼で作られたデザインを元にしてコンドルが設計したんだの
あれ、そういえばデザインした人は別に居たんだよね?

びーさん

あーとん

残念ながら当時の原案デザインは無くなっていて、コンドルがどれぐらい手直しをしたのかはわかっていないんだの
えーと、ビザンティン式の建築だったけ??

びーさん

 

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ビザンティン様式とは?

 

ニコライ堂の特徴といえば
中央の大きなドームです。

<ニコライ堂 上空から>

<ドーム内部>

高さ34.5mになる
中央に柱のないこの造りは
ビザンティン様式の代表的な作りと言えます。

 

あーとん

ビザンティン様式は元々3世紀ごろの東ローマ帝国辺りで始まったと言われているんだの
ずいぶん昔の様式なんだね!

びーさん

あーとん

昔ながらのキリスト教と古代ギリシャから続く文化が混ざりあった様式で、正教の昔ながらのキリスト教を守りながらもその地域の文化を大切にするという思想どことなく似ているんだの

ニコライ堂の大本となったデザイン画や
それを元に
コンドルがどのような手を加えたのかは
残念がら資料が残っていないため
具体的な事は分かっていません。
ただ、当時建築に関わった人々の話だと
多大な苦労があったようです。

考えてみればビザンティン様式なんて知らない当時の人達はきっと大変だったんだろうなぁ

びーさん

あーとん

日本でビザンティン様式なんて知られてなかったからの。建築のための資材やら、原案を作った国外にいる建築家との連絡やら、とてもたくさんの労力が積み重なってできた大聖堂だの

 

現在のニコライ堂
1923年の関東大震災で倒壊してしまった
ドームを再建した姿で、
建築当時の姿ではありませんが
今でも多くの人が礼拝に訪れる
人々のための聖堂であることには変わりありません。

日本の歴史と
ヨーロッパの古い建築様式
そして、キリスト教との関わりの深い大聖堂
だからこそ
1962年国の重要文化財に指定されたのかもしれませんね。

あーとん

ちなみに日時に制限はあるけれど、ろうそく代を払えば一般の人でも内部を見学することはできるんだの
そうなんだ!行ってみたいなぁ

びーさん

あーとん

ニコライ堂は日本に居ながらも本格的なビザンティン様式の建築が観ることができる記貴重な場所なんだの。そして何より、教会であるから携帯の電源は切る等、きちんとルールを守って見学してほしいんだの
神様にお祈りをする場所だもんね!

びーさん

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