あーとん
2019年4月13日(土)に放送される
「新美の巨人たち」(テレビ東京)では、
日本の神田にある教会
「ニコライ堂
(東京復活大聖堂)」へ
女優の貫地谷しほりさんが訪れます。
まずはどんな内容なのか
公式サイトで確認してみましょう!
東京・神田の台地に佇む『東京復活大聖堂』は、教会を建てたロシア人宣教師、聖ニコライの名から通称『ニコライ堂』と呼ばれています。日本最大のビザンティン式建造物であるこの美しい聖堂を設計したのは、“日本近代建築の父”イギリス人建築家ジョサイア・コンドル。日本との懸け橋になろうとした2人の異邦人によって、この聖堂は生み出されました。美しき建築に隠された物語に女優・貫地谷しほりさんが迫ります。
<Art Traveler>貫地谷しほり
この予告から気になるキーワードを
抽出すると・・・
- 教会を建てたロシア人宣教師、聖ニコライ
- 日本最大のビザンティン式建造物
- 聖堂を設計したのは、“日本近代建築の父”イギリス人建築家ジョサイア・コンドル
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びーさん
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ニコライ堂はどこにあるの?
今回ご紹介するニコライ堂
正式名称・東京復活大聖堂は、
東京都千代田区神田駿河台にある
日本国内では最大級といえる
ビザンティン式建築の大聖堂です。
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ニコライ堂が建てられたのは1891年ですが
現在の姿は、
関東大震災で被災した後に修復された姿です。
<建築当時の図>
<関東大震災時>
<戦後~現在>
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東京にこの大聖堂が建てられた目的は
キリスト教・正教(せいきょう)の教えを広めるためで
正教会の宣教師(せんきょうし)である
ニコライ・カサートキンの依頼でした。
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宣教師ニコライってどんな人?
本名:イーヴァン・ドミトリエヴィチ・カサートキン
修道名:ニコライ
生年月日:1836年8月1日
死没:1912年2月6日(日本)
国籍:ロシア
教派:正教
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聖ニコライが日本に興味をもったのは大学時代。
ヴァーシリー・ゴローニンの書いた本
『日本幽囚記(にほんゆうしゅうき)』がきっかけでした。
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この日本幽囚記をきっかけに
日本に興味を持った聖ニコライは
1861年に函館の司祭として来日し
正教会の教えを日本中に伝える活動を行います。
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正式に活動が出来るようになるまでの間
聖ニコライは積極的に
日本について勉強しています。
日本史はもとより仏教や神道
人々の日常生活に至るまでを
七年間もの間、継続して学んでいます。
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正教での布教活動の最中、
聖ニコライは日本の正教の中心地としての
大聖堂の建設を希望します。
大聖堂のデザインの元を
ロシア人建築家
ミハイル・シチュールポフに依頼し、
日本で鹿鳴館(ろくめいかん)を建てるなど実績のあった
イギリス人建築家
ジョサイア・コンドルが実際の設計を行いました。
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<鹿鳴館(ろくめいかん)>
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建築家ジョサイア・コンドルってどんな人?
名前:ジョサイア・コンドル
生年月日:1852年9月28日
死没:1962年6月21日(東京)
国籍:イギリス
表現形式:建築家
ムーブメント:歴史主義建築
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<三菱一号館>
補足すると、
現在の三菱一号間美術館は
一度解体された
三菱一号館のレプリカです。
<旧岩崎邸庭園 重要文化財>
ジョサイア・コンドルは
イギリス・ロンドン出身の建築家で
現在の東京大学工学部の
建築学教授として来日しました。
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コンドルは大学で
西洋建築の基礎を教えながら、
日本政府の依頼で
政府の関連施設の設計を手掛けていました。
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河鍋暁斎(かわなべきょうさい)
<左:河鍋暁斎「鯉魚遊泳図」 右:コンドル「鯉之図」>
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ビザンティン様式とは?
ニコライ堂の特徴といえば
中央の大きなドームです。
<ニコライ堂 上空から>
<ドーム内部>
高さ34.5mになる
中央に柱のないこの造りは
ビザンティン様式の代表的な作りと言えます。
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ニコライ堂の大本となったデザイン画や
それを元に
コンドルがどのような手を加えたのかは
残念がら資料が残っていないため
具体的な事は分かっていません。
ただ、当時建築に関わった人々の話だと
多大な苦労があったようです。
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現在のニコライ堂は
1923年の関東大震災で倒壊してしまった
ドームを再建した姿で、
建築当時の姿ではありませんが
今でも多くの人が礼拝に訪れる
人々のための聖堂であることには変わりありません。
日本の歴史と
ヨーロッパの古い建築様式
そして、キリスト教との関わりの深い大聖堂
だからこそ
1962年、国の重要文化財に指定されたのかもしれませんね。
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