あーとん
2019年11月9日(土)に放送される
「新美の巨人たち」(テレビ東京)では、
ゴッホが亡くなる前年に
描いた傑作『糸杉』に
片桐仁さんが迫ります。
まずはどんな内容なのか
公式サイトで確認してみましょう!
フィンセント・ファン・ゴッホが亡くなる前年に描いた傑作『糸杉』は、迫力ある筆跡が目を引く油彩画。炎が燃え上がるように天に向かって伸びる2本の糸杉、身悶えするような空は大気なのか?雲なのか?一体、夜なのか?昼なのか?今回はゴッホの激しい筆跡を巡る旅へ!さらにゴッホに憧れ、美大を受験した“ゴッホになりたかった男”片桐仁さんが、東京藝術大学で『糸杉』を描きます。ゴッホタッチの凄みに迫ります。
<Art Traveler>片桐仁
この予告から気になるキーワードを
抽出すると・・・
- 「糸杉」ってどんな作品?
- ゴッホってどんな人?
- ゴッホの作品の特徴って?
あーとん
びーさん
あーとん
「糸杉」ってどんな作品?ゴッホの絵の特徴って?
ゴッホと言えば「ひまわり」
そう言われるぐらい
誰もが知る作品が
実は日本の新宿にある
東郷青児(とうごうせいじ)記念
損保ジャパン日本興亜(にほんこうあ)美術館
にあります。
〈ひまわり〉
あーとん
びーさん
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〈ひまわり ロンドン ナショナルギャラリー所蔵〉
びーさん
〈ゴーギャン作 我々はどこから来たのか 何者なのか 我々はどこへ行くのか〉
そんなゴッホの「ひまわり」と同じく
ゴッホが絵を描くモチーフ、
つまり、題材として
晩年よく描いていたのが
本日紹介する「糸杉」です。
〈糸杉〉
びーさん
あーとん
画像では分かりにくいですが
美術展で展示されている
ゴッホの絵を
少し横からみてみると
キャンバスにの上に
絵具の塊を重ねたような
力強いタッチを観る事ができます。
びーさん
あーとん
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びーさん
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〈星月夜(糸杉と村)〉
びーさん
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〈色相環図〉
この色相環図(しきそうかんず)で
向かい合っている色同士は
お互いの色を強調する
補色の関係でもあります。
びーさん
あーとん
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あーとん
〈色の三原色〉
ゴッホの描く色彩は
色の三原色や補色といった
色の関係性をうまく
使い分けています。
〈夜のカフェ〉
この「夜のカフェ」は
一見すると
派手な色彩を使っている
ように見えますが
実際に使われている
絵具の数はとても少なく
それを補うために
色の三原色や補色の関係を
上手く利用しているのです。
あーとん
びーさん
あーとん
ゴッホ題材に選んだ糸杉は
ヨーロッパでは
お墓に植えられている植物
としてのイメージが強く
糸杉そのものを題材として
好んで描いたのがゴッホでした。
〈お墓に植えられている糸杉〉
あーとん
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ゴッホは弟・テオへの手紙で
もうずっと
糸杉のことで頭がいっぱいだ
ひまわりの絵のように
なんとかものにしたいと思う
これまで糸杉を誰も僕のように
描いたことがないというのが
驚きでしかたない
その輪郭や比率は
エジプトの
オベリスクのように美しい
その緑色の素晴らしさは別格だ
1889年6月
と語っています。
あーとん
〈糸杉と星の見える道〉
〈糸杉のある麦畑〉
びーさん
あーとん
〈実際の糸杉〉
ゴッホが
糸杉を描きだしたのが1889年。
耳切事件の後、
精神病院の病室の窓から
見えた糸杉に魅(み)せられたようです。
〈サン=レミのサン=ポール療養院〉
びーさん
あーとん
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ゴッホってどんな人?
名前:フィンセント・ファン・ゴッホ
生年月日:1853年5月30日
出身地:オランダ
死没:1890年7月29日(37歳)
活動拠点:フランス・オランダ
表現実績:絵画
ムーブメント:ポスト印象派
びーさん
あーとん
ポスト印象派は
光の表現や輪郭線を取らずに描く
印象派の流れを組みつつも
線や形を自由に使い
実際に見えているものだけに
こだわらずに
描き手の感性や感情を
絵で観せようとした
絵画表現です。
あーとん
なんだの
ゴッホは1853年
オランダの牧師の家に生まれました。
6人兄弟の長男で
一時期は父親と同じく
聖職者を目指しますが
試験に失敗し
画家になることを決意したそうです。
〈ゴッホ唯一の写真 19歳頃〉
絵を描き始めた頃は
農民画家と言われた
ミレーの影響が強く
何気ない農村の風景や
暮らしを描いた作品がメインでした。
〈ミレー作 落ち葉拾い〉
〈砂丘で網を修理する女達〉
〈ジャガイモを食べる人々〉
あーとん
〈ミレー作 種をまく人〉
〈ゴッホ作 種をまく人〉
ゴッホの画風が変化したのは
1886年頃、
弟でありゴッホ最大の理解者でもある
テオルドと共にパリに出て
印象派の画家達と出会ってからです。
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びーさん
〈テオの肖像〉
またパリ時代には
日本の浮世絵にも強い影響を受け
こういった作品も残っています。
〈タンギー爺さん〉
〈おいらん 渓斎英泉(けいさいえんせん)を模して〉
〈渓斎英泉 時世美女競 東都芸子〉
びーさん
あーとん
1888年、ゴッホは
南フランスのアルルに移り住み
「ひまわり」や「夜のカフェテラス」
といった代表作を生み出します。
〈夜のカフェテラス〉
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ゴッホはアルルで
画家の集まる村を作ろうと
何人かの画家仲間に
声をかけていましたが
アルルまで来てくれたのは
ゴーギャンただ一人でした。
〈ゴーギャン作 ひまわりを描くゴッホ〉
けれども
ゴーギャンとの共同生活も
長くは続かず、
わずか2ヶ月で終わってしまいます。
あーとん
びーさん
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びーさん
あーとん
びーさん
〈自画像 耳に包帯をしたもの〉
ゴッホ自身
元々気性の激しい性格を
していたこともあってか
事件以降、精神的にも追いやられ
サン=レミにある療養所へ
入退院を繰り返し
最後は
滞在中のオヴェールの宿泊施設で
拳銃自殺をはかり
その2日後に亡くなっています。
びーさん
〈ゴッホの遺作と言われている作品 カラスのいる麦畑〉
あーとん
〈赤いブドウ畑〉
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あーとん
ゴッホの影響力は今でも健在で
世界各地で展覧会が開かれ
現在、東京・上野の森美術館にて
「ゴッホ展」が開催中です。
あーとん
びーさん
あーとん
ゴッホの描く糸杉
天空に不吉な雲が渦巻き彼の人生をうねらせたとしても、地にしっかり根を生やした糸杉の力を彼は信じていたと思います