あーとん
2019年11月23日(土)に放送される
「新美の巨人たち」(テレビ東京)では、
ピカソの晩年の作品に
太田光さんが迫ります。
まずはどんな内容なのか
公式サイトで確認してみましょう!
「アートで人生が変わった!」と題した2週連続特別企画【パブロ・ピカソ×爆笑問題・太田光】後編
▼91歳でこの世を去るまでに多くの作品を残した芸術家ピカソ。そんなピカソに救われたという太田さんが今回向かったのは箱根彫刻の森美術館「ピカソ館」。そこには多数の陶芸作品や、マネの名画に挑んだピカソ版『草上の昼食』など、晩年に生まれた作品群が。作品を通しその生き様に触れた太田さんが考えるこれからの芸人人生とは?<Art Traveler>太田光(爆笑問題)
この予告から気になるキーワードを
抽出すると・・・
- ピカソの陶芸作品って?
- 晩年の作品は?
あーとん
びーさん
あーとん
びーさん
あーとん
という事で今回は
ピカソの晩年のエピソードや
番組予告でも紹介されていた
ピカソの陶芸作品を
中心に紹介していきます。
ピカソの「泣く女」ってどんな作品?アフリカ彫刻との関係は?【美の巨人たち】
ピカソの陶芸作品って?
あまり知られていませんが
ピカソはその生涯で
3000点ほどの
陶芸作品を製作しています。
びーさん
あーとん
ピカソが陶芸に出会ったのは
南フランスに位置する
ヴァロリスという町で
開かれていた
陶芸市がきかっけです。
〈陶器の町ヴァロリス〉
びーさん
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〈ヴァロリス ピカソ美術館〉
あーとん
〈戦争と平和〉
ピカソ自身が
陶芸を始めたのは
1947年以降
つまり、第二次世界大戦後で
ピカソの長い人生のなかでも
後半に差しかかったころでした。
あーとん
〈ピカソの陶芸〉
1948年に
ピカソはヴァロリスに移住し
若い陶芸家であった
ラミエ夫妻の工房・マドゥーラ工房で
皿や水差し、花瓶などに
絵付けを行っています。
〈ピカソの陶芸作品〉
またピカソは本の中で
陶器は版画のような機能を持つ。
焼くことは刷ることだ。
そのときに君が
表現したものが何かを知る。
刷り上がったとき、
それはもはや彫ったものではない。
陶器では、君は何もできない
とも語っています。
あーとん
びーさん
あーとん
そもそも陶器ってどうやって作るの?
陶芸と言われると
少し硬い印象を受けますが
「やきもの」もしくは
「骨董品」というと
イメージがしやすいのではないでしょうか。
あーとん
そもそも陶芸とは
土をこね粘土を作り
高い温度で焼き上げる
技術のことを言います。
あーとん
「やきもの」作りで
1番大切なのが粘土作り。
つまりは土選びです。
〈土の種類〉
あーとん
びーさん
あーとん
びーさん
〈土をこねる〉
土が決まり粘土ができたら
次は形を作っていきます。
イメージとして有名なのは
ろくろをまわしている姿でないでしょうか。
〈ろくろを使って形を作る〉
あーとん
びーさん
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〈紐作り〉
びーさん
あーとん
形ができたら1~2週間かけて
ゆっくりと乾燥させ
素焼きへと移ります。
びーさん
あーとん
びーさん
あーとん
びーさん
素焼きとは
粘土に含まれた水分を
完全に飛ばすための工程です。
600~800度の釜で焼くことで
「やきもの」の強度を
高めているのです。
あーとん
素焼きの後
「やきもの」の絵柄の輪郭(りんかく)を入れる
下絵を行い、釉薬(ゆうやく)を付け
本焼きに入ります。
〈本焼き〉
びーさん
あーとん
びーさん
あーとん
「やきもの」は
こういった様々な工程に加え
さらには
焼くことで色を着ける事になるので
必ずしも作家の思う通りに
完成するわけではありません。
びーさん
あーとん
〈本焼きの前と後〉
びーさん
あーとん
びーさん
あーとん
ピカソの晩年って?
ピカソの晩年と言うと
大きく括って
1939年にニューヨーク近代美術館で
開かれた大規模な回顧展以降
第二次世界大戦前後の時代になります。
〈現在のニューヨーク近代美術館〉
びーさん
あーとん
この時期ピカソは
前のトピックスで紹介した
陶芸製作に没頭したり
版画を手掛けたり
また
過去の巨匠達の名画を
題材にした作品を何枚も描いています。
こちらのベラスケス作の
王宮の一室の様子を
一枚の写真に納めたような作品
「ラス・メニーナス」は58枚。
〈ベラスケス作 ラス・メニーナス〉
〈ピカソ作 ラス・メニーナスno,47〉
ドラクロワの代表作でもあり
19世紀のオリエンタルリズムを
象徴するような
アルジェリア王宮内の側室達を描いた
「アルジェの女たち」は15枚。
〈ドラクロワ作 アルジェの女たち〉
〈ピカソ作 アルジェの女たち(O)〉
マネの代表作であり
後の作家達に大きな影響を与えた
問題作「草上の食卓」は27枚。
〈マネ作 草上の食卓〉
〈ピカソ作 草上の食卓〉
いずれも連作として
タッチや色を変えながら
何枚も何枚も描いています。
びーさん
あーとん
びーさん
ピカソは常々
子供のように絵を描きたいと
子供のように描くために
絵の研究を続け
習作を重ねて来ました。
あーとん
びーさん
あーとん
〈二人のこどもたち クリードとパロマ〉
ピカソが
巨匠達の名画を模写し
アレンジを重ねた時期と
陶器作りに熱中していた時期は
丁度同じ頃で、
もしかすると
人生で初めての失恋のショックで
引きこもっていたからなのかもしれません。
びーさん
あーとん
1955年に別居状態だった
妻・オルガが亡くなると
ピカソは当時の恋人、
ジャクリーヌ・ロックと結婚しました。
〈手を組み合わせるジャクリーヌ・ロックの肖像〉
びーさん
あーとん
ピカソが
90歳の時に描いた自画像は
ピカソだと言われなければ
ただの落書きにしかみえません。
〈自画像〉
ある意味で、
ピカソが目指した
「子供のような絵」の
終着点とも言える作品では
ないでしょうか。
びーさん
あーとん
びーさん
あーとん
ピカソの「泣く女」ってどんな作品?アフリカ彫刻との関係は?【美の巨人たち】