狩野一信・増上寺『五百羅漢図(ごひゃくらかんず)』の解説【新美の巨人たち】

 

あーとん

あーとんだの。今日は「新・美の巨人たち」の又吉直樹×『五百羅漢図』狩野一信が生涯を賭けた驚異的仏画!について紹介するの!

 

2019年5月18日(土)に放送される
「新美の巨人たち」(テレビ東京)では、
東京都・増上寺にある
「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」
に込められた思いに

芸人の又吉直樹さんが迫ります。

 

まずはどんな内容なのか
公式サイトで確認してみましょう!

増上寺に展示されている今回の作品『五百羅漢図』。極彩色の色使い、人物のユーモラスな表情…圧倒的な画力で描かれたこの作品はなんと全100幅!仏画史上最大の規模を誇ります。手掛けたのは幕末の謎の絵師・狩野一信。彼が生涯をかけて完成させたのですが、当時無名だった狩野がなぜこんな超大作を描けたのか?江戸中期に起きた“羅漢”ブームとは?史上類を見ない驚異的な仏画に込められた想いに、芸人・又吉直樹さんが迫ります。

<Art Traveler>又吉直樹

 

この予告から気になるキーワードを
抽出すると・・・

 

  • 全100幅・仏画史上最大の規模の『五百羅漢図』
  • 幕末の謎の絵師・狩野一信
  • 江戸中期に起きた“羅漢”ブーム

 

あーとん

今回ご紹介するのは東京タワーのお膝元、東京都港区・増上寺に秘蔵されている「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」についてだの!

〈増上寺と東京タワー〉

ぞうじょうじにあるごひゃくらかんず……なんだか噛みそう!早口言葉みたい

びーさん

あーとん

「増上寺の僧正(そうじょう)の趣味はJazzじゃぞJazzじゃぞJazzじゃぞ」なんて早口言葉もあるんだの
そうじょう?じょうぞう??じゃむ、あ、じゃず???

びーさん

あーとん

びーさんが困惑している間にまずは作品について紹介ようかの

 

 

『五百羅漢図(ごひゃくらかんず)』ってどんな作品?

 

〈五百羅漢図 第21幅(右) 第22幅(左) 六道地獄〉

今回ご紹介する「五百羅漢図」
作者・狩野一信(かのうかずのぶ)
十年の歳月をかけて製作した
全100幅からならる超大作です。

 

あーとん

五百人の羅漢(らかん)さまの色々な様子を100幅もの掛け軸で表現したかなりの大作なんだの
じゃずじゃじょ??あーもういい!!言えない!!

びーさん

あーとん

びーさん、作品紹介ははじまってるんだの
はっ!えーと、ご、五百羅漢図!

びーさん

あーとん

きちんと言えてるんだの

 

羅漢(らかん)さまとは、
つまりはお釈迦様のお弟子さんの事。

五百羅漢図とは、
お釈迦様のお弟子さんたちによる
生活の様子や集会の様子などが描かれています。

 

500人のお弟子さんの生活の様子?

びーさん

あーとん

うーん、自分はこんなことを勉強しているよという発表会だったり羅漢さまが日頃どんなことを行っているかだったり、羅漢さまの色々な様子が描かれた掛け軸なんだの

 

例えば第1~10幅は日常の様子
〈第9幅 浴室〉

最初に紹介した第21・22幅を含む
第21~40幅は
地獄に落ちた罪人を助ける様子を
描いています。

 

それぞれテーマがあるんだね!

びーさん

〈第50幅 十二頭蛇(じゅうにずだ) 露地常坐(ろじじょうざ)〉
*修行の様子

〈第82幅 七難(しちなん) 震(しん)〉
*人々を天災から救う様子

 

高さ172cm幅85cmの掛け軸に
細かく書き込まれた羅漢図は
公開されると同時に
江戸に羅漢ブームを起こした
火付け役となりました。

羅漢ブーム?

びーさん

あーとん

そう、狩野一信の羅漢図が素晴らしかったのももちろんだけれどちょっとした時代背景も要因の一つなんだの

 

 

江戸時代の羅漢ブームとは?

 

狩野一信
この五百羅漢図の製作
とりかかったのは1853年から
実はこの間
「安政の大地震」と呼ばれる
マグニチュード7クラスの大地震
江戸で発生しました。

マグニチュード7って

びーさん

あーとん

近年、大きな被害を出した地震の強さ、マグニチュードで言うのなら1995年の阪神淡路大震災がそれに近いんだの
たくさんの人が悲しい思いをしたんだね

びーさん

あーとん

狩野一信の一家も地震による火災にまきこまれて財産の一切を無くしているんだの

 

そんな狩野一信が10年の歳月をかけ
完成し発表された五百羅漢図

亡くなった人に会えると
当時噂されていたようです。

 

亡くなった人に会える??

びーさん

あーとん

もちろん実際に合うことはできなんだの。でも五百羅漢図に描かれた羅漢さまの中に大切な人の面影を見た人々から、まことしやかにそんな噂が流れていたらしいんだの
確かに、すっごく細かく描かれているし、一人一人表情も違うからどこかで似ているなと思う事もあるかもしれないね!

びーさん

 

〈第78幅 堂伽藍(どうからん)〉
*寺院を建設している様子

 

この天災以前にも
仏さまよりも身近な聖人として
羅漢信仰
民衆にも浸透しはじめていましたが

江戸で起こった大きな地震以降
黒船の来航など
日本の歴史が大きく動き出す時期へと
時代が流れていきます。

そんな中で仏教が
そしてより身近な聖人達が
人々の不安な心の拠り所
なっていたのかもしれません。

あーとん

心の拠り所、狩野一信の五百羅漢図に刺激を受けて、現代の五百羅漢図を発表した芸術家もいるんだの

 

〈村上隆(むらかみたかし)〉

村上隆さんは
ご自身の五百羅漢図の製作にあたって
とあるインタビューで
「宗教を見た」といっています。

 

あーとん

村上さんは五百羅漢図の製作中、東日本大震災で被災した子供達が亡くなった両親の事を想って空を見上げたインタビューに、強い衝撃をうけたようなんだの
それが宗教を見た?

びーさん

あーとん

亡くなった人を偲(しの)んで空を見上げ、お父さんとお母さんがみてると子供達が言ったそうだの。その姿に村上さんは宗教の始まりを感じたと言っているんだの
なるほど、そうなんだ

びーさん

あーとん

村上さんはそう感じたという感覚的なお話だから、同意しなくても大丈夫なんだの

 

時期は前後しますが、
たまたま開かれていた
狩野一信の展覧会で
五百羅漢図を観ていた偶然も重なり
村上隆の五百羅漢図が製作されました。

 

〈村上隆 五百羅漢図〉

 

宗教のことはよくはわからないけど江戸時代の羅漢図村上さんの羅漢図思いは同じなんだね!

びーさん

あーとん

誰かの心の勇気になればいい、どちらの作品もきっとそんな思いが込められているんだの

 

 

狩野一信(かのうかずのぶ)ってどんな人?

 

あーとん

ではでは最後に狩野一信について紹介しようかの

名前:狩野一信 (かのう・かずのぶ)
生年月日:1816年(誕生日不明)
死没:1863年11月3日
活動拠点:江戸
活動時代:江戸後期
表現実績:絵師

 

狩野一信は現在の東京都墨田区の辺りで
骨董商を営む家の次男として生まれました。あまり詳しい資料は残されていませんが
妻である逸見やすの家へ婿入り
逸見一信(へんみかずのぶ)と名乗っていたようです。

 

あれ逸見?狩野じゃないの??

びーさん

あーとん

実は一信が生きていた頃に狩野を名乗ったことは一度もなくて狩野一信の名前が知られるようになったのは奥さんのやすさんが「私の夫は狩野一信です」と言ったことから狩野一信になったんだの
狩野の由来は?やっぱり狩野派だっけ、絵師の一派の狩野?

びーさん

あーとん

時期は諸説あるけど、狩野派に弟子入りしていたそうだの

 

狩野一信については研究段階で
詳しい経歴は分かっていませんが
五百羅漢図を見るに
当時はある程度の知名度を持つ
絵師だったようです。

〈踊り骸骨図〉

〈趙雲図〉

あーとん

分かっているエピソードをあげるなら奥さんのお父さんが占い師で一信の人相をみてうちの娘の婿になれと言われたり、
わかってないわりに濃いのきた!

びーさん

あーとん

あとはそうだの、少し残念なエピソードにもなるけれど、五百羅漢図の製作途中で亡くなっていることかの
えっ、そうなの??

びーさん

 

一信が亡くなったのは
五百羅漢図の製作途中で
第96幅まで書き終えた
数え年・48才で亡くなっています

 

あともう少しだったのに、確かに残念だね。亡くなったあとの絵はどうしたの?

びーさん

あーとん

奥さんやお弟子さんが一信の思いを引き継いで完成させたんだの
そっか、よかった

びーさん

 

現在、増上寺の宝物展示室では
五百羅漢図の全100幅のうち
第71幅~80幅までが展示されています。

 

あーとん

8月25日までが第71幅~80幅で、8月28日~12月23日までの間は第81幅~90幅までが展示される予定だの
期間を変えて少しずつ展示されているみたいだから、気になった人はぜひ増上寺のホームページをチェックしてね!

びーさん

 

〈増上寺宝物展示室〉

増上寺宝物展示室
開館時間:午前10時~午後4時まで
休館日:毎週火曜日
入場料:一般700円

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