あーとん
2019年5月18日(土)に放送される
「新美の巨人たち」(テレビ東京)では、
東京都・増上寺にある
「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」
に込められた思いに、
芸人の又吉直樹さんが迫ります。
まずはどんな内容なのか
公式サイトで確認してみましょう!
増上寺に展示されている今回の作品『五百羅漢図』。極彩色の色使い、人物のユーモラスな表情…圧倒的な画力で描かれたこの作品はなんと全100幅!仏画史上最大の規模を誇ります。手掛けたのは幕末の謎の絵師・狩野一信。彼が生涯をかけて完成させたのですが、当時無名だった狩野がなぜこんな超大作を描けたのか?江戸中期に起きた“羅漢”ブームとは?史上類を見ない驚異的な仏画に込められた想いに、芸人・又吉直樹さんが迫ります。
<Art Traveler>又吉直樹
この予告から気になるキーワードを
抽出すると・・・
- 全100幅・仏画史上最大の規模の『五百羅漢図』
- 幕末の謎の絵師・狩野一信
- 江戸中期に起きた“羅漢”ブーム
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〈増上寺と東京タワー〉
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『五百羅漢図(ごひゃくらかんず)』ってどんな作品?
〈五百羅漢図 第21幅(右) 第22幅(左) 六道地獄〉
今回ご紹介する「五百羅漢図」は
作者・狩野一信(かのうかずのぶ)が
十年の歳月をかけて製作した
全100幅からならる超大作です。
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羅漢(らかん)さまとは、
つまりはお釈迦様のお弟子さんの事。
五百羅漢図とは、
お釈迦様のお弟子さんたちによる
生活の様子や集会の様子などが描かれています。
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例えば第1~10幅は日常の様子
〈第9幅 浴室〉
最初に紹介した第21・22幅を含む
第21~40幅は
地獄に落ちた罪人を助ける様子を
描いています。
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〈第50幅 十二頭蛇(じゅうにずだ) 露地常坐(ろじじょうざ)〉
*修行の様子
〈第82幅 七難(しちなん) 震(しん)〉
*人々を天災から救う様子
高さ172cm幅85cmの掛け軸に
細かく書き込まれた羅漢図は
公開されると同時に
江戸に羅漢ブームを起こした
火付け役となりました。
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江戸時代の羅漢ブームとは?
狩野一信が
この五百羅漢図の製作に
とりかかったのは1853年から。
実はこの間に
「安政の大地震」と呼ばれる
マグニチュード7クラスの大地震が
江戸で発生しました。
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そんな狩野一信が10年の歳月をかけ
完成し発表された五百羅漢図は
亡くなった人に会えると
当時噂されていたようです。
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〈第78幅 堂伽藍(どうからん)〉
*寺院を建設している様子
この天災以前にも
仏さまよりも身近な聖人として
羅漢信仰は
民衆にも浸透しはじめていましたが
江戸で起こった大きな地震以降
黒船の来航など
日本の歴史が大きく動き出す時期へと
時代が流れていきます。
そんな中で仏教が
そしてより身近な聖人達が
人々の不安な心の拠り所に
なっていたのかもしれません。
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〈村上隆(むらかみたかし)〉
村上隆さんは
ご自身の五百羅漢図の製作にあたって
とあるインタビューで
「宗教を見た」といっています。
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時期は前後しますが、
たまたま開かれていた
狩野一信の展覧会で
五百羅漢図を観ていた偶然も重なり
村上隆の五百羅漢図が製作されました。
〈村上隆 五百羅漢図〉
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狩野一信(かのうかずのぶ)ってどんな人?
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名前:狩野一信 (かのう・かずのぶ)
生年月日:1816年(誕生日不明)
死没:1863年11月3日
活動拠点:江戸
活動時代:江戸後期
表現実績:絵師
狩野一信は現在の東京都墨田区の辺りで
骨董商を営む家の次男として生まれました。あまり詳しい資料は残されていませんが
妻である逸見やすの家へ婿入りし
逸見一信(へんみかずのぶ)と名乗っていたようです。
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狩野一信については研究段階で
詳しい経歴は分かっていませんが
五百羅漢図を見るに
当時はある程度の知名度を持つ
絵師だったようです。
〈踊り骸骨図〉
〈趙雲図〉
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一信が亡くなったのは
五百羅漢図の製作途中で
第96幅まで書き終えた
数え年・48才で亡くなっています。
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現在、増上寺の宝物展示室では
五百羅漢図の全100幅のうち
第71幅~80幅までが展示されています。
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〈増上寺宝物展示室〉
増上寺宝物展示室
開館時間:午前10時~午後4時まで
休館日:毎週火曜日
入場料:一般700円