エクトール・ギマール(建築家)パリ・メトロ出入口【美の巨人たち】

 

あーとん

あーとんだの。今日は「美の巨人たち」の「エクトール・ギマール」回について紹介するの!

2019年2月23日(土)に放送される
「美の巨人たち」(テレビ東京)では、
建築家のエクトール・ギマール
紹介されます。

 

まずはどんな内容なのか
公式サイトで確認してみましょう!

 

2019.2.23放送
エクトール・ギマール「パリ・メトロ出入口」
パリにメトロが開通したのは、万博が開催された1900年。フランスの建築家ギマールが手掛けた出入口は、実に不思議な形をしています。手の込んだ手すり、アーチから伸びる植物のような柱、花のような街灯…それは正にアール・ヌーヴォー様式。ところが最盛期には166カ所あったギマールの出入口はおよそ半分に。世紀末のパリを飾った新しい芸術はなぜ生まれ、なぜ消えていったのか?根源にあったパリの“希望”と“焦り”に迫ります。

引用:美の巨人たち公式サイト

 

この予告から気になるキーワードを
抽出すると・・・

  • パリにメトロが開通したのは、万博が開催された1900年
  • フランスの建築家ギマール
  • 世紀末のパリを飾った新しい芸術はなぜ生まれ、なぜ消えていったのか?

びーさん

パリ万博ってもう100年も前なんだね。日本では・・・えーっと・・・

あーとん

では、気になるキーワードを今回も1つずつ学習していこうかの。

 

今日のめあて
エクトール・ギマールと「アール・ヌーヴォー」を知り、装飾的な建築に興味をもってみよう。

 

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エクトール・ギマールのプロフィール

名前:エクトール・ギマール

生年月日:1867年3月10日

死没:1942年5月20日(75歳)

生活拠点:パリ→ニューヨーク(亡命)

国籍:フランス

表現形式:建築家

ムーブメント:アール・ヌーヴォー

 

あーとん

以前に紹介した、ピエール・ボナールと同じ時代を生きた人物だの。
ピエール・ボナールの「美の巨人たち」|『黄昏(クロッケーの試合)』見逃し概要

あーとん

エクトール・ギマールが生まれた1867年は日本が初めて万博に参加した年なんだの。ちなみに江戸幕府として参加した最初で最後の万博でもあるんだの。

びーさん

1867年といえば大政奉還だね。天皇に政治の権利を返したってやつだっけ。ここから日本は色々なことが変わる時代だったけど、エクトール・ギマールが活躍した時代はどうだったのかな?

 

エクトール・ギマールとアール・ヌーヴォー

エクトール・ギマールが活躍した
時代の流行といえば
アール・ヌーヴォーです。

アール・ヌーヴォーの特徴

  • 動植物をモチーフ(題材)としている
  • 曲線が多く取り入れられている

一般的には動植物をモチーフとした
曲線を多く取り入れた芸術として
知られています。

 

エミール・ガレのガラス工芸や

 

アルフォンス・ミュシャ
始めとしたポスター絵画などは
日本でも人気があり有名です。

 

アール・ヌーヴォーの意味は
新しい芸術」!

ガラスやポスターなど、
今まで芸術として扱われていなかった分野
新しい素材が、
芸術として扱われるようになっていきました。

まさに「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」
の名の通りの流行ですね。

 

びーさん

新しい芸術ってなんだかかっこいいね!

あーとん

アール・ヌーヴォー独特の植物や昆虫の動きや形を再現するのに、「新しい素材」として使われ始めた鉄やガラスは最適だったんだの。

びーさん

えーと、エクトール・ギマールは建築家だよね?じゃぁ、建物によく使われてた鉄とかガラスがいっぱい使われたのかな?

あーとん

では、エクトール・ギマールが設計したパリの駅を見てみようかの。

 

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エクトール・ギマールの駅の特徴は?

建築家エクトール・ギマールの
代表作に、パリの地下鉄の入口があります。

 

ポルト・ドフィーヌ(Porte Dauphine)駅

 

1900年に開催される
パリ万博に合わせて開通される
メトロ(地下鉄)のデザインが
公募されたのが
この駅が生まれたきっかけでした。

応募の中から
当時すでに奇抜なデザインで
話題にも上がっていた
エクトール・ギマールが選ばれました。

びーさん

日本のオリンピックのロゴの決め方と同じだね〜

あーとん

そんな感じだの。名の知れた人物が応募しているところが違いではあるがの・・・

あのうねうねとした蔦(つた)が
絡まったかのような不思議なデザインは、

現在ではアール・ヌーヴォーの代表的な
デザインとまで言われるようになりました。

 

しかし、当時のパリ市民には
衝撃的すぎて賛否両論だっだようです。

現在のメトロの入口のほとんどは
ギマールの作品のレプリカ
(本物を真似たコピー)ですが

2番線ポルト・ドフィーヌ駅の
入口は、建築当時のオリジナル作品です。

巨大な昆虫が羽を広げたような
不思議なフォルムは
すぐ近くにあるブーローニュの森にも
違和感なく溶け込んでいます。

 

 

 

びーさん

なんかジブリみたい

あーとん

鉄やガラスを使っているのに周囲と不思議に一体化しているのはエクトール・ギマールが目指した調和が存分に活かされている所だの

びーさん

こんなデザインがいっぱいあったら、万博に来た人もビックリだよ。なんだか分からないけどさすが芸術の都・パリ!みたいになるね。

あーとん

あの当時、141の駅がギマールによって手掛けられパリ中で流行ったけれども、それも長くは続かなかったんだの

びーさん

あれ、そういえばほとんどがコピーって言ってたよね?どういうこと?

あーとん

ギマールの作品風に見える駅の入口は今でも90はあるけれど、そのほとんどは移築などで部分的に再建されたレプリカ・・つまりコピーされた作品なんだの

 

オリジナルの建築が現在半数?!理由は?

 

パリ万博を経て
アール・ヌーヴォーは大流行となりましたが
それは長くは続きませんでした。

流れるように衰退し、
1960年代に入るまで
再評価されることなく
忘れ去られてしまいます

これは第一次世界大戦時の
ヨーロッパ諸国の混乱による
世界情勢の変化が大きく関わっています。

 

アール・ヌーヴォー独特の
奇抜さや華やかさを作り出すためのには
お金が掛かりすぎると世間が判断したからです。

華の都と称えられるパリもまた
新しい時代にあった作風の芸術を求め、
アール・ヌーヴォーは時代遅れであり
不健全なモノ」として否定されてしまいました。

その影響を受けて
エクトール・ギマールが手掛けた
数々の駅も古いものとして
取り壊されてしまったのです。

 

あーとん

ちなみにエクトール・ギマール自身も1938年にアメリカに亡命してるんだの。

びーさん

フランスからアメリカに?!どうして?

あーとん

1938年は第二次世界大戦の直前、なによりギマールの奥さんがユダヤ人だったのが理由だの。

びーさん

あ、そっか、第二次世界大戦が関係しているんだね。ユダヤ人ってだけで殺されちゃったり強制的に収容所に入れられて無理矢理働かされたりしたんだよね。

パリ万博の年に生まれて、パリ万博ですごい作品を残したのに・・・結局パリから離れちゃったんだ。なんだか寂しいね。

あーとん

世界が激動している時代だったからの。

最後に、駅以外のエクトール・ギマールの作ったものを見ておこうかの。

 

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エクトール・ギマールの他の建築は?

 

エクトール・ギマールの代表作でもある
2番線ポルト・ドフィーヌ駅の
入口のあるパリ16区は、
数多くのエクトール・ギマール作品が
現存する地区でもあります。

 

中でも悪魔の館とまで言われた
「カステル・ベランジェ(Castel Béranger)」

 

エクトール・ギマール自身の住んだ
ギマール邸(Hôtel Guimard)

 

メザラ邸(Hotel Mezzara)

 

今でも住宅として利用されている
ギマール作品が密集した地域だからこそ、

ポルト・ドフィール駅の入口も
現存のまま残っているのかもしれませんね。

 

まとめ

 

今日はみなさんに
「美の巨人たち」で紹介される
建築家のエクトール・ギマールと
アール・ヌーヴォーを
ご紹介しました。

今日のまとめ

アール・ヌーヴォーの特徴

  • 動植物をモチーフ(題材)としている
  • 曲線が多く取り入れられている
  • 「新しい芸術」という意味
  • それまで芸術表現に使われなかった素材も使われた

 

あーとん

「アール・ヌーヴォー」というと難しそうな感じがするかもしれないが、びーさんの言った「ジブリの世界みたい」というのは分かりやすいイメージかもしれないの。

びーさん

周りの自然と調和するって考え方、結構好きだったな〜

 

みなさんはエクトール・ギマールの
表現はどう感じましたか?

 

時代の流れによって
流行したり衰退したりという
変化が大きかった人物でしたね。

もしパリに行く機会があったら
駅の形にはぜひ注目してください。

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