あーとん
2018年11月24日に放送の
「美の巨人たち」(テレビ東京)では
ピエール・ボナールが紹介されます。
放送時には東京都の「国立新美術館」で
『オルセー美術館特別企画
ピエール・ボナール展』が開催されています。
会期
2018年9月26日(水)
~ 12月17日(月)
※火曜日休館
開館時間
10:00~18:00
毎週金・土曜日は20:00まで。
ただし9月28日(金)、29日(土)は21:00まで
※入場は閉館の30分前まで
会場
国立新美術館 企画展示室1E
あーとん
あーとんと一緒に、どんな人物か
学習していきましょう。
「美の巨人たち」公式サイトの予告をチェック
まずは公式サイトの予告から
見所を確認しましょう。
ピエール・ボナール「黄昏(クロッケーの試合)」
『黄昏』はピエール・ボナールが25歳の時に描いた油彩画。夕暮れ時クロッケーの試合を楽しむボナールの家族…ところが家族に立体感や陰影がなく楽しそうではありません。一方光の下では女性たちは楽しげに踊っていて別世界のよう。そこにはボナールの奥底に潜む苦悩が描かれていたのです!浮世絵に強く影響を受け誕生したこの絵の「10の平面」と「黄昏の強烈な陽の光」が織り成す驚くべき画面構成、未だかつて無い絵画の世界とは?
この予告から
気になるキーワードを引き出すと…
- 描かれているのはボナールの家族
- 立体感や陰影がない
- 浮世絵に強く影響を受けた
びーさん
あーとん
ピエール・ボナールのプロフィール
名前:Pierre Bonnard
(ピエール・ボナール)
生年月日:1867年10月3日
死没月日:1947年1月23日
国籍:フランス
表現形式:絵画、版画家
ムーブメント:後期印象派、ナビ派
びーさん
あーとん
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ピエール・ボナールの人生(ざっくり)
ピエール・ボナールは、
陸軍省の役人の息子として生まれました。
国家公務員の息子、
と言えば分かりやすいでしょうか。
つまりはエリート家系です。
1887年(20歳のとき)に、
大学の法学部に入学します。
父親の教育方針に従った
ピエール・ボナールは
法律学を学び、大学を卒業しました。
大学卒業後は、弁護士として
働き始めます。
びーさん
あーとん
ピエール・ボナールは
法学部に通いながら、
フランスのパリにある私立美術学校
「アカデミー・ジュリアン」に通っていました。
ここで、「預言者」という意味をもつ
後期印象派のグループの1つ「ナビ派」を
創設します。
「ナビ派」って何?
「ナビ派」はパリの
アカデミー・ジュリアンで
学生であった若い画家たちによって
結成された集団です。
「ナビ派」は、ゴーギャンの
影響を強く受けていました。
あーとん
びーさん
あーとん
「ナビ(預言者)派」という名称は
宗教的な印象を受けますね。
このネーミングからも感じ取れますが
彼らはゴーギャンからの教えを
一種の啓示のように
受け止めていたそうです。
びーさん
あーとん
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ナビ派は、絵画作品を
自律的なものとみなしていたそうです。
自律的=気ままさを押さえて
自分で立てた規範に従って
行うものということですね。
自分のルールに従って行う
というところは、
理論派のゴーギャンらしい
ところのひとつかもしれません。
びーさん
あーとん
ピエール・ボナールたちは
日常をどういう風に解釈して、
どう装飾的に描くか
ということを実践していました。
そしてその実践は、
平面表現の探求として発展していきました。
そのため、ピエール・ボナールの作品は
絵画作品にとどまらず
ポスター・デザイン、テキスタイル(布の絵柄)
装丁(書籍の表紙のデザイン)や挿絵イラスト、
舞台美術、版画など
生活に繋がる美術にまで範囲を広げています。
このように、美術の範囲を広げたり
秩序立てて作品を制作したりしていた
ピエール・ボナールですが
日本の浮世絵に影響を受けていたそうです。
ピエール・ボナールと浮世絵
ピエール・ボナールは33歳の時に
エコール・デ・ボザール(フランス パリの美術学校)
で開催された日本美術展を見て
日本の絵画作品に感銘を受けました。
1890年のことだったそうです。
びーさん
あーとん
以後のピエール・ボナールの作品には
日本絵画の影響が色濃く現れています。
びーさん
あーとん
こちらの4作品《庭の女性たち》は
ピエール・ボナールが日本絵画と
出会った直後の1890〜91年に描かれたものです。
縦長の構図が浮世絵の影響を感じさせます。
中でも右端の作品をよく見てみると…
体のラインに絵柄が沿っていない
ことがわかります。
この装飾的な描き方は
当時のパリでは非常に珍しいもの
だったことでしょう。
また、この構図は
菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の
「見返り美人図」を想起させますね。
びーさん
ずいぶんと前置きが長くなりましたが、
今回の「美の巨人たち」で紹介される
『黄昏(クロッケーの試合)』を鑑賞してみましょう。
『黄昏(クロッケーの試合)』
ピエール・ボナール《黄昏(クロッケーの試合)》1892年
油彩、カンヴァス 130.5×162.2cm オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
びーさん
あーとん
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あーとん
まず注目したいのが、
描かれている人物の服です。
格子模様の衣装を着た左の男性や、
中央の女性の格子模様は、
先ほど紹介した《庭の女性たち》と
同様に、身体のラインに沿わずに
まっすぐな格子模様をしています。
これは、“装飾的な新しいアート”を
目指したピエール・ボナールが、
日常風景を写実的に描くのではなく、
奥行の無い平面的な描き方で
描くことで生まれた表現です。
浮世絵など日本美術の影響を思わせる
この描き方は、
ピエール・ボナールの挑戦でもありました。
あーとん
びーさん
ここで描かれてる
「クロッケー」をしている女性は、
ボナールの奥さんのマルトです。
マルトは、亡くなる1942年まで
ボナールの作品に頻繁に登場しています。
びーさん
あーとん
ちなみに、奥さんのマルトと
ピエール・ボナールの出会いは
1893年のパリの街角です。
当時26歳だったボナールは、
マルト・ド・メリニーと名乗る少女と
出会うのですが、このときマルトは
自称16歳でした。
ピエール・ボナールが
マルトの本名と実年齢を知ったのは
なんとそれから32年後。
1925年に2人が正式に結婚したときに
ピエール・ボナールとマルトの年齢差は
わずか2歳だと知るのです。
びーさん
あーとん
ピエール・ボナールのまとめ
- 父親は国家公務員のエリート幼少期
- 弁護士にもなったけど美術の道へ
- ゴーギャンに影響を受けた理論派「ナビ派」
- 浮世絵に影響を受けた平面的な作品
- 作品には奥さんが度々登場する
- 奥さんは出会った当初に年齢をサバ読んでいた