あーとん
2019年9月14日(土)に放送される
「新美の巨人たち」(テレビ東京)では、
日本を代表する女性洋画家
三岸節子(みぎしせつこ)の
『自画像』そして
『さいたさいたさくらがさいた』
近藤サトさんが迫ります。
まずはどんな内容なのか
公式サイトで確認してみましょう!
明治から平成にかけ百年近い歳月を生きた日本を代表する洋画家・三岸節子。妻として、母として、男社会の画壇という逆境の中で戦い続けた炎の生涯に近藤サトさんが迫ります。なぜか辛いほう苦しいほうへ歩み続けた節子の生き様とは?生家跡に建てられた三岸節子記念美術館では、20歳の作品『自画像』と、93歳で描いた大作『さいたさいたさくらがさいた』という対照的な2枚と向き合います。
<Art Traveler>近藤サト
この予告から気になるキーワードを
抽出すると・・・
- 三岸節子ってどんな人?
- 『自画像』『さいたさいたさくらがさいた』ってどんな作品?
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三岸節子ってどんな人?
名前:三岸節子(みぎしせつこ)
生年月日:1905年1月3日
死没:1999年4月18日(94歳)
活動拠点:日本
活動時代:明治~平成
表現実績:洋画家
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三岸節子は1905年愛知県の生まれ。
1921年に上京し、
岡田三郎助の元で
本格的に絵を習い始めます。
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美術学校を主席で卒業したのち
節子は19歳で同じく洋画家である
三岸好太郎(こうたろう)と結婚します。
〈三岸節子 自画像〉
〈三岸好太郎〉
〈三岸好太郎 赤い肩かけの婦人像〉
こちらの三岸好太郎の作品は
三岸節子がモデルとされています。
先に上げた節子の自画像が
描かれたのが1925年、
好太郎がこの絵を描いたのが1924年。
二人とも若くして
才能にあふれていた事がわかります。
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夫である好太郎が亡くなった時
節子は29歳。
三岸節子は、三人の子供を抱えながら
作品作りとの両立に追われていきます。
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〈著書 花より花らしく〉
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早くに夫を亡くし
苦労した自分の体験もあり
節子は女性画家の地位向上を目指し
1946年に女流画家協会を創立します。
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〈女流画家協会〉
その後も積極的に製作を続けた節子は
60代でフランスへと渡り
コート・ダジュール
イタリア、ギリシャと
旅をしながら作品を描き続けています。
〈小運河にて〉
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体力的な理由での
帰国直後の84歳の時に
節子は女性の洋画家として
初めて文化功労者に選ばれます。
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三岸節子の「自画像」と「さいた さいた さくらが さいた」ってどんな作品?
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〈自画像〉
この作品は節子が始めて
展覧会に出品し入選をした作品です。
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この「自画像」が着けている着物。
衿元が左右反対になっているのが
分かりますか?
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〈着物の衿〉
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鏡を見ながら描いたから左右が逆なのか
それとも、わざと直さずにいたのか
「自画像」の
しっかりとした眼差は
どちらの意味にもとれる作品です。
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〈さいた さいた さくらが さいた〉
この「さいた さいた さくらが さいた」は
節子が93歳の時に描いた作品です。
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どっしりとした木の幹に
垂れ桜(しだれざくら)のように
放射線を描きながら
広がる桜の花びら。
淡い色合いのはずなのに
迫りくるようなパワフルさは
節子の描く世界の
独特な空気感なのかもしれません。
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三岸節子の他の作品は?
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〈赤い花〉
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〈花〉
節子の作品は
力強いタッチと
鮮やかな色彩が特徴的です。
〈静物〉
〈細い運河〉
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一宮市三岸節子記念美術館